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潜入! 京都大学 百周年時計台

京都大学のシンボルとして親しまれてきた時計台
1897年(明治30年)の京都帝国大学創立から28年後の1925年(大正14年)に竣工し、
2003年(平成15年)の大改修工事を経て現在にいたります

今回、一般の方は立ち入れない部分までカメラが潜入しました。

普段は見れない時計台の姿をぜひご覧ください。

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画面を下に下にスクロールすると
どんどん時計台の中に潜入することができます。

百周年時計台記念館

1925年(大正14年)に竣工した、百周年時計台記念館。
100年近くにわたって京都大学のシンボルとして親しまれ続けており、
現在は各種ホールを備えた学術交流の場として活用されています。

百周年時計台記念館

そして、もう一つのシンボルが時計台の前にあるクスノキです。
実は現在のクスノキは2代目であり、初代が1934年(昭和9年)の室戸台風で倒れた後、翌年の1935年(昭和10年)に樹齢約5~10年の若木が植えられたと推測されています。
90年近く、授業を終えた学生が語らい安らぐ、憩いのスペースになっています。

正面玄関

時計台の設計者は「関西近代建築の父」と称される建築学科初代教授・武田 五一氏です。
旧来の西洋古典に倣った建築様式から、近代建築運動への転換期に造られた、 日本の近代建築史上、大切な時期を象徴する建物でもあります。
八角形の柱や開口部の縁取りなどに、当時、流行した建築様式・ゼツェシオンの影響を見ることができます。
正面玄関の石段を上がると、入り口には、彫刻家の斎藤素巖(さいとう・そがん)の1924年(大正13年)の作である「空」または「雲」という名の大きなブロンズの浮彫りが飾られています。
ブロンズの元となった石膏レリーフは長らく附属図書館1階に飾られていましたが、現在は京都大学総合博物館に収蔵されています。大正14年5月14日の朝に牛車に積まれて京都大学に来た、若々しい、そして自由と風格をそなえた京都大学にふさわしいこの作品が皆様を迎え入れます。

  • 斎藤素巖作「空」または「雲」
  • 八角形の柱と開口部の縁取り

歴史展示室

京都大学の歩みを紹介する歴史展示室。
常設展「京都大学の歴史」では、創立(1897年(明治30年))以来の京都大学の歴史が展示されています。
中央には、1939年(昭和14年)の本部構内を再現したキャンパスの模型が据えられ、周囲には大学文書館所蔵の公文書類や手紙、ノート、ビラの他、キャンパスの風景や学生生活をとらえた写真等を組み合わせるなどして、京都大学の各時代像がわかりやすく表現されています。
また、この他に常設展「第三高等学校の歴史」も開催しています。

京大サロン

教職員や学生も利用できる自由な交流の場。
喫茶を利用することもできます。
(注.現在は新型コロナウイルスの感染拡大予防のためご利用いただけません。)

百周年記念ホール

収容人数500人の大ホール。
2003年の創立百周年記念事業の一環の改修工事の際、
全学で最大の教室だった法経第1教室だった場所に、このホールが建てられました。
国際・国内学会や、「春秋講義」「未来フォーラム」「クロックタワーコンサート」などのシンポジウム、講演会等に利用されており実開催の「ホームカミングデイ」もここで実施されています。

地下免震装置

時計台の改修の際、直面したのが、吉田神社から本学へ向けて走っている花折断層の問題。
この断層に大きなずれが起きる可能性を考慮し、震度7クラスの地震にも耐える免震工事が施されました。
構法は、美しい時計台の美観を損なわないよう、地盤と建物の間に免震装置を設けて建物の揺れを低減させる「免震レトロフィット」を採用。
そして地震計が設置され(地下以外にも2カ所 計3ヵ所)、研究にも利用されています。
地震計の記録には2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災の約2分後に感知した三陸沖を震源とした地震の記録も残っています

  • 免震装置
  • 免震構造変形記録板
  • 地震計

迎賓室(旧総長室)

八角形のフォルムが特徴的な照明の奥にあるのが迎賓室。
第7代荒木寅三郎総長から第23代長尾真総長までの17人が使用した、旧総長室です。
ダイナミックながらも、華奢なあしらいが随所に施された優雅なデザインの照明が印象的です。
他にも2階にはパーティションで分割できる「国際交流ホール」があり、国際会議の分科会やレセプションなどに利用されています。

  • 迎賓室の照明

時計塔(1)

某扉から時計塔の中に潜入します。(もちろん関係者以外立ち入り禁止です!)
入り口をはいるとすぐに階段が出現。時計塔の心臓部、頂上までは、この急な階段が92段続きます。

時計塔(2)

この階段は一気に頂上まで続くのではなく、途中にはエントランス屋上に出ることができるフロア、
そして、最近修理が終わった時計塔北側にある鐘をメンテナンスするフロアがあります。
その北側の文字盤の下にある鋼鉄製の鐘ですが、老朽化のため1950年(昭和25年)から42年間、鐘は止まっていましたが、1992年(平成4年)に復活しました。8時、12時、18時に3回、鳴るようになっています。「鐘は、総長が突いている」という噂もありますが、実は自動です。ぜひ聞きにいらしてください。

  • 時計台の鐘

時計塔(3)

そして、頂上が時計塔の心臓部。ここで四方の時計を制御しています。
時計はドイツのシーメンス社製で、当時のお金で9,480円83銭(現在のお金に換算しますと諸説ありますが約2千万円強ぐらいです。)で購入。ドイツ人技師が組立に当たりました。
文字盤照明装置の設計者は、時計台の設計者でもある 武田 五一氏です。
塔の四方に白のモダンなデザインの文字盤が取り付けられており、照明は 2011年には、最先端のLEDに交換されていますが、それ以前は蛍光灯、さらにその前は両口電球でした。
時計塔の文字盤は夜になると四方にやさしく光を投げかけます。ぜひ京大へいらしてご覧ください。

  • 時計中央機構部